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解惑辨誤(神谷定令)寛政2年(1790)

藤田貞資の精要算法(1779)に対して,会田安明は改精算法(1785)を著してその内容を非難した.
これが最上流と関流の論争の発端となり,以後20年間にわたり論戦を交えた.
解惑辨誤までのやり取りは次のようである.(神谷定令は藤田貞資の高弟)
改精算法→改精算法正論(神谷定令)→改精算法改正論(会田安明)
改精算法→非改精算法(神谷定令)→辨惑算法(会田安明)
この辨惑算法に対して神谷定令が書いたものが解惑辨誤である.これに対して会田は算法廊知を書いている.
論争の内容は数学的には意味のないもので,後には感情的,揚げ足取りになり,罵詈雑言に至った.
和算の館蔵

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