名前 | 活躍年 | 没年 | (活躍地) |
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1 | 中西正好(文左衛門,十太夫) | 1683頃 | 宮津藩士/池田昌意の弟子/荒木村英の弟子/中西流の祖 | 「勾股弦適等集」(1683) | 駿河 (丹後宮津) |
ナカニシ・マサヨシ/ナカニシ・セイコウ | ||
2 | 中西正則(正利,文左衛門) | 1684頃 | 中西正好の弟 | 「算法続適当集」(1684),「因解算法」,「至極算法」,「算術百好」(1707) | (江戸) | ナカニシ・マサノリ | ||
3 | 島田尚政(源右衛門,算七) | 1675頃 | 井関知辰,田中由眞,大島喜侍,宅間能清ら多くの弟子を育てる | 「算法発揮」(1690)は弟子井関知辰の名で出版されている | 大阪 | シマダ・ナオマサ/シマダ・ショウセイ | ||
4 | 井関知辰(十兵衛) | 1661? | 島田尚政の弟子 | 「算法発揮」(1690)この本の中で,行列式を余因子を使って展開する方法を世界で初めて述べている | 大阪 | イセキ・トモトキ/イゼキ・チシン | ||
5 | 宮城清行(外記)/柴田理右衛門 | 1689頃 | 宮城流の祖 | 「明元算法」(1689),「和漢算法大成」(1695)などのほか,弟子の編として「改算記項目」を著した.多くの弟子を育て,宮城流を起こした | 京都 | ミヤギ・キヨツラ/ミヤギ・キヨユキ/シバタ・リエモン | ||
6 | 大島喜侍 (芝蘭,善左衛門,忠右衛門) |
1733 | 前田憲舒の弟子/島田尚政の弟子/喜多治伯の弟子/中根元圭の弟子/大島流開祖 | 「演段数品術」(1732)などの数学書のほか,「天学便蒙」,「時計考」,「量地術用法」などの著作が多数ある /近畿周辺を歴訪し,数学を各地に広め,自ら大島流を始めた | 大阪 | オオシマ・キジ/オオシマ・シラン | ||
7 | 鎌田俊清(五良兵衛) | 1678 | 1747 | 阿座見俊次の弟子/宅間能清の弟子/宅間流 | 「宅間流円理」(1722),「立円惑問」(1736)などを著した.それらの中には逆三角関数の無限級数展開が求められているし,円周率の近似値も与えられている | 大阪 | カマタ・トシキヨ | |
8 | 田中由真 (正利,吉真,十郎兵衛) |
1651 | 1719 | 橋本吉隆の弟子/島田尚政の弟子 | 「算法明解」(1677),「算法紛解」(1683)などを著した.この中に,関孝和とは独立に行った行列式についての研究が含まれている.また,数学遊戯の書「雑集求笑算法」などを著している | 京都 | タナカ・ヨシザネ | |
9 | 田中大観(田瓚,文必) | 1710 | 1735 | 天文家/田中由真の子/中根元圭の弟子 | 「天径枢要」,「大観先生暦術」,「月出算法解」(1735)など,天文暦術の書がある | 京都 | タナカ・タイカン/タナカ・サン | |
10 | 安井祐之 | 1754頃 | 中根彦循の弟子 | 「円玉略解」(1754)を著した.その中で関孝和の零約術(無理数を分数で近似すること)を改良している | 近江 | ヤスイ・ヒロユキ/ヤスイ・スケユキ | ||
11 | 安藤吉治 | 1689頃 | 田中由真の弟子 | 「一極算法」(1689)を著したが,これは六乗演式(七次方程式)の書である | 京都 | アンドウ・ヨシハル/アンドウ・キチジ | ||
12 | 内田秀富(源兵衛) | 1755頃 | 宅間流4代/鎌田俊清の弟子 | 宅間流の入門書「算用手引草」(1755)のほか「立円演段」(1785)などを著した | 大阪 | ウチダ・ヒデトミ/ウチダ・シュウフウ | ||
13 | 岸通昌(与三右衛門) | 1773頃 | 「算法得幸録」(1773)を著した。この第一編は三題を自説自答しているが,第二編では諸社寺の算額を取り上げている | 奈良 (大阪) |
キシ・ミチマサ | |||
14 | 麻田剛立(妥彰,正庵,璋庵) | 1734 | 1799 | 天文学者/麻田流始祖 | 望遠鏡を改良して天体観測を行い,中国と西洋の暦を取り入れた暦を考えた。数学上では「弧矢弦之解」を著している。また,多くの弟子を育て麻田流の始祖となった | 豊後杵築(大阪) | アサダ・ゴウリュウ | |
15 | 宅間能清(源左衛門) | 1705頃 | 島田尚政の弟子?/宮城清行の弟子?/宅間流始祖 | 「立円成問」(1733)を著した.宅間流を立て,阿座見俊次,鎌田俊清ほか多くの弟子を育て,この流派は幕末まで関西に栄えた | 大阪 | タクマ・ヨシキヨ | ||
16 | 阿座見俊次(諸兵衛) | 1712頃 | 宅間能諸の弟子/宅間流 | 弟子の鎌田俊清とともに「立円惑問」(1736)を著した | 大阪 | アザミ・トシツグ | ||
17 | 松岡能一(良助,貞八,長延) | 1737? | 1806? | 内田秀富の弟子/宅間流 | 「宅間流円理」のほか,方陣や計子術(まま子立)について書いている。入門書「算学稽古大全」(1806)は多くの版を重ねた | 大阪 | マツオカ・ノウイチ/マツオカ・ヨシカズ | |
18 | 松岡清信(常八,定八郎,忠,信) | 1783 | 1837 | 松岡能一の子/宅間流六代 | 「角法簾串」(または「宅間流角述」)(1799)などを著した | 大阪 | マツオカ・キヨノブ | |
19 | 岡之只(七兵衛,乾堂) | 1791 | 商人/松岡能一の弟子/宅間流 | 「解路法」,「新考立円変化」(1816),「探商法并趕趁術」(1819)などを著した | 大阪 | オカ・ユキタダ/オカ・コレタダ | ||
20 | 三池市兵衛 | 1721頃 | 大島喜侍の弟子/三池流開祖 | 金沢の地に三池流算学を広めた | 大阪 (金沢) |
ミイケ・イチベ工 | ||
21 | 高橋至時 (子春,作左衛門,東岡) |
1764 | 1804 | 松岡能一の弟子/宅間流/天文方/麻田剛立の弟子/麻田派 | 数学に関しては「列子図解」,「算法列子術」がある。弟子の間重富らとともに「ラランド暦書管見」などを訳出し,寛政暦を完成している | 大阪 (江戸) |
タカハシ・ヨシトキ | |
22 | 間重富(五郎兵衛,長涯,耕雲) | 1756 | 1816 | 天文暦学家/麻田剛立の弟子 | 高橋至時を助けて寛政改暦に尽し,観測用の機械の設計・改良にも意を用いた。「算法弧矢索隠」,「天地二球用法評説」などの著書のほか,「ラランデ暦書訳述」の訳書もある | 大阪 | ハザマ・シゲトミ | |
23 | 間重新(伯固,重威,盛徳) | 1786 | 1838 | 天文家/間重富の子/松岡能一の弟子/宅間流 | 父重富の楕円規を黄銅で作り,「楕円起元」(1828)を書いた.また,「比例尺」のほか,「彗星概説」などの著作もある | 大阪 (江戸) |
ハザマ・ジュウシン | |
24 | 坂正永(新蔵) | 1795 | 麻田剛立の弟子/麻田派 | 「算法学海」(1781序,1782刊),「弧術演段」などのほか,関流と最上流の論争を批評した「二精評筌」を書いた。また,天文学上の著作もある | 大阪 | サカ・マサノブ/サカ・マサナガ | ||
25 | 足立信頭(左内,子秀,信顕) | 1769 | 1845 | 天文方/麻田剛立の弟子/麻田派/松岡能一の弟子/宅間流 | 寛政改暦および天保改暦に関与し,「対朔暦」,「新巧暦書」,「新修五星法」らの著作がある。またロシア語辞書を作り,馬場貞由とともにロシア算術書を「算学釈語オロシヤ国本」(1813)として訳出している。 | 大阪 (江戸) |
アダチ・ノブアキラ/アダチ・サナイ | |
26 | 谷以燕(東平,元純,竜岡) | 1775 | 1824 | 暦学家/麻田剛立の弟子/麻田派/松岡能一の弟子/宅間流 | 「宅間流算法起術解」(1805),「大阪天神社奉納算法十三間術解」(1813),「精要算法起元」(1822)などを著した | 備中 (井原市) |
タニ・モチヤス | |
27 | 村井宗矩 (求林,伊兵衛,七兵衛) |
1755 | 1817 | 昆布商人/天文家/坂正永の弟子/麻田派/会田安明の弟子/最上流 | 「算法演段」などを著した | 大阪 | ムライ・ムネノリ/ムライ・キュウリン | |
28 | 武田真元(篤之進,主計,子孚) | 1789? | 1847 | 正永の弟子/和田寧の弟子/武田派/眞元流 | 「階梯算法」(1818),「算法便覧」(1824),「真元算法」(1844),「算法摘要大成」(1845)などを著した | 堺 (大阪) |
タケダ・シンゲン | |
29 | 武田謙蔵 (数斉,定則)/毛利恵助 |
1906 | 内田五観の弟子/武田真元の養子 | 数理研究舎を設立し,多くの子弟に数学を教えた。「明治算経」(1875)「真元測量術」(1880)「新年数理新撰」(1885)などを著している | 弘前 | タケダ・ケンゾウ/モウリ・ケイスケ | ||
30 | 福田復(金塘,嘉当,貫通斎) | 1807 | 1858 | 武田真元の弟子/福田派 | 「算学速成」(1836),「算題雑解」(1843),「算法道標」(1843),「算法対数表」(1854)などを著した | 美濃 (大阪) |
フクダ・フク | |
31 | 福田理軒 (泉,謙之丞,順天堂)/本橋惟義 |
1815 | 1889? | 東京数学会社会員/洋算家/武田真元の弟子/和田寧の弟子/小出兼政の弟子 | 「順天堂算譜」(1847),「西算速知」(1856),「算学速成」(1858),「算法玉手箱」(1879)などを著し,洋算の普及に尽した | 美濃 (大阪・東京) |
フクダ・リケン/モトハシ・コレヨシ | |
32 | 百川治兵衛 (正次,忠兵衛,九也) |
1580? | 1638? | 百川流 | 百川流を創始し,「諸勘分物」(1622)などを著した | 京都 (佐渡) |
モモカワ・ジヘイ | |
33 | 毛利重能 | 1622頃 | 「天下―割算指南」の看板を掲げ,数学を教えた | 「割算書」(1622)ほかの数学書を著している | 西宮 (京都) | モウリ・シゲヨシ | ||
34 | 吉田光由(七兵衛,久庵) | 1598 | 1673 | 毛利重能の弟子 | 数学書「塵劫記」(1627)を書き,江戸時代を通じてベストセラーとなった.解をつけない問題(遺題)の提出は,その後の数学の発展に寄与した。また「古暦便覧」(1648)も著している | 京都 | ヨシダ・ミツヨシ | |
35 | 大橋清行(忠右衛門,九右衛門) | 1650頃 | 自らは著書を著してはいないが,藤田吉辰や西川勝基らの多くの弟子を育てた | 京都 | オオハシ・キヨユキ | |||
36 | 藤岡茂元(市郎兵衛,茂之) | 1657頃 | 「算元記」(1657)を著したが,現在に伝わっていない。しかし後(1800),「初学算法記」と改題して出版されている。この中に裁ち合わせの問題がある | 京都 | フジオカ・シゲモト@フジオカ・シゲユキ | |||
37 | 横川玄悦(心庵) | 1666頃 | 吉田光由の弟子/横川流 | 「算盤級聚術」(1673)を著したが,現在は残っていない | 京都 | ヨコガワ・ゲンエツ | ||
38 | 沢ロー之 (三郎左衛門,三郎右衛門,宗隠) |
1671頃 | 橋本正数の弟子 | 「古今算法記」(1671)を著し,「改算記」や「算法根源記」の遣題を解き,自らも15の問題を遺した。本書において,日本で初めて天元術の解説がなされた | 大阪 (京都) |
サワグチ・カズユキ | ||
39 | 橋本吉隆(佳隆,平右衛門) | 1675頃 | 橋本正数の弟子/大明流 | 「算法明解」(1675)を著し,暦学にも通じていた | 大阪 (京都) |
ハシモト・ヨシタカ/ハシモト・キチリュウ | ||
40 | 湯浅得之(市郎左衛門) | 1676頃 | 村松茂清の弟子 | 「算法統宗」(1676)に訓点を施して刊行した | 京都 | ユアサ・トクシ | ||
41 | 佐治一平 | 1695頃 | 田中由真の弟子/大明流 | 弟子の松田正則の名で「算法入門」(1681)を著し,上巻で「数学乗除往来」の遣題を解き,下巻で「発微算法」の誤りを指摘したが,それはいわれなきものであった | 京都 | サジ・カズヒラ | ||
42 | 中根元圭(丈右衛門,璋,律襲) | 1622? | 1733 | 医者/田中由眞の弟子/建部賢弘の弟子 | 数学書「七乗冪演式」(1691),「八線表算法解義」,音律の書「律原発揮」(1962)のほか,「授時暦経俗解」(1776),「古暦便覧」(1685),「天文図解発揮」(1693)など暦学・天文の著作がある | 近江 (京都) |
ナカネ・ゲンケイ | |
43 | 中根彦循(法舳,保之丞,卞) | 1701 | 1761 | 中根元圭の子 | 「竿頭算法」(1738),「勘者御伽草紙」(1743)などを著した。後者は興味深い数学遊戯上の問題を扱っており,九去法についての記述がある | 京都 | ナカネ・ゲンジュン | |
44 | 村井中漸 (漸,平柯,痴道人)/原田秀箇 |
1708 | 1797 | 儒家/医者/中根彦循の弟子 | 数値方程式の解法を述べた「開高点兵算法」(1770)や,算経十書中五書を集めた「算経」(1792)を著した,数学遊戯上の問題を扱った「脱子術」,「算法童子問」なども著した | 肥後 (京都) |
ムライ・チュウゼン/ハラダ・シュウコ | |
45 | 西村遠里 (左衛門,千助,得一)/近藤遠里 |
1718? | 1787 | 暦学家/池部清真の弟子/関流建部派 | 宝暦暦の不備を指摘した。「得一暦」(1758),「暦象之弁」(1763),「本朝天文志」などの天文暦学書のほか「数学夜話」なども著している | 大和 (京都) |
ニシムラ・トオサト/コンドウ・トオサト | |
46 | 橋本正数(伝兵衛) | 1650頃 | 1683以前 | 大明流の始祖 | 日本において,天元術を最初に理解した人といわれる。多くの弟子(沢ロー之,橋本吉隆ら)を育てた | 大阪 | ハシモト・マサカズ/ハシモト・セイスウ | |
47 | 榎浄門(豊後,子春,南郊) | 1837頃 | 僧侶/法眼/中根彦循の弟子 | 「照闇算法」(1841),「算法円理解」などを著した | 京都 | エノキ・ジョウモン | ||
48 | 佐々木定保(其争,平安隠士) | 1837頃 | 「算学備要大成」(1837)とその改補版(1856)を著した | 京都 | ササキ・サダヤス | |||
49 | 榎並和澄(権右衛門) | 1634? | 和算家/暦学家 | 20歳で「参両録」(1653)を著した.これは「塵劫記」の遺題を解いたもので,自らも遺題を出題し,遺題継承の出発点となった。「暦学正蒙」(1658)も著している | 大阪 | エナミ・トモズミ/エナミ・ワチョウ | ||
50 | 古市正信(算助,四郎左衛門) | 1713? | 橋本正数の弟子/大明流 | 橋本正数に学び,大島喜侍の師である | 大阪 | フルイチ・マサノブ | ||
51 | 鈴木重次(平三郎) | 1694頃 | 「算法重宝記」(1694)を著した。その中に,因乗の図(籌算,ネーピア・ロッドの図)がある.また,方陣も載せられている | 大阪 | スズキ・シゲツグ | |||
52 | 喜多治伯(新七,喜七郎) | 1696頃 | 医者/和算家/橋本吉隆の弟子/田中由真の弟子 | 橋本吉隆・田中由真に学び,数学をよくした。弟子に大島喜侍がいる | 大和 (大阪) |
キタ・ジハク | ||
53 | 西脇利忠 | 1697頃 | 「算法天元録」(1697)を著した | 大阪 | ニシワキ・トシタダ/ニシワキ・リチュウ | |||
54 | 奥村邦具(三介) | 1750頃 | 「算法演段拾遺」(1750)を著した | 大阪・堺 | オクムラ・クニトモ | |||
55 | 干葉桃三(子常)/壷中隠者 | 1794以降 | 医者/和算家/入江修敬の弟子 | 「算法少女」(1775)を著した.本書は医者であった千葉桃三が口授したものを,娘の平章子が集めて一冊にしたものだという | 摂津 (江戸) |
チバ・トウゾウ/コチュウ・インジャ | ||
56 | 四宮順実 | 1807頃 | 松岡能一の弟子/宅間流五世 | 「宅間流神壁算法起源二条」(1807)を著した。また大阪天満天神社に算額を奉掲(1808)した.(非現存) | 大阪 | シノミヤ・ヨリザネ | ||
57 | 佐野義致(雍蔵,要蔵) | 1836頃 | 福田復の弟子/福田派 | 「算学速成」(1836),「算題雑解前集」(1843)などを著した。また,佐藤術員,竹林忠漸ともに「奉掲住吉神社福田派算法発起」(1855)を著している | 大阪 | サノ・ヨシムネ | ||
58 | 竹林忠重(忠喜,松之助) | 1836頃 | 福田復の弟子/福田派 | 「鈎股大全集」,「算学速成」(1836),「算法鈎股大全解」(1836)を編集したほか,「算法極数術」を著している | 大阪 | タケバヤシ・タダシゲ/タケバヤシ・タダヨシ | ||
59 | 村木勘十郎(助十郎) | 1798 | 1870 | 福田復の弟子 | 天保山砲台を建築した。また,算術速成法,算法などの著作があるが,いずれも今に伝わっていない | 輪島 (大阪) |
ムラキ・カンジュウロウ | |
60 | 松村忠英(和助) | 1841頃 | 暦算家/和算家/福田復の弟子/福田派 | 「貫通斎初学算法教録」(1841)を著したほか,「町見捷径窺望心計示蒙」(1842),「独学捷径算法早まなび」(1845)などを編集した | 大阪 | マツムラ・タダヒデ | ||
61 | 武田多則(篤之丞,真則) | 1844頃 | 武田真元の子/武田派 | 「真元算法」(1844)を著した | 大阪 | タケダ・タソク | ||
62 | 岡田忠貴(太兵衛,真游斉) | 1845頃 | 武田真元の弟子/武田派 | 「摘要算法」(1845)を著した | 大阪 | オカダ・タダタカ | ||
63 | 池田正慶(弥三郎,貫徹斎) | 1848頃 | 福田復の弟子/福田派 | 「算学速成」(1836),「順天堂算譜」(1847)などの校正を担当し,「円理求積解」,「算法極数術」などを著している | 大阪 | イケダ・マサヨシ | ||
64 | 山田安山(安山子,案山) | 1848頃 | 「改正算法図解」(1848),「増補算法図解大全」(1848)を著した | 大阪 | ヤマダ・アンザン | |||
65 | 岩田清庸 (七平,忠左衛門,貫) |
1810 | 1870 | 下垣内正矩の弟子/福田復の弟子 | 「算学速成」(1836),「算法日用利足速成」(1857)などを著した。大阪府枚方市の意賀美神社に算額を奉掲(1861)した.(現存) | 大阪 | イワタ・セイヨウ | |
66 | 竹林忠漸(兼吾) | 1853頃 | 福田復の弟子/福田派 | 師福田復の著作「算題雑解前集巻四」(1843)を編集した。また,佐野義致・佐藤術員らとともに,「奉掲住古社福田派算法発起」(1855)を著した | 大阪 | タケバヤシ・チュウゼン | ||
67 | 花井健吉(喜十郎,静,静庵) | 1821 | 東京数学会社会員/和算家/福田理軒の弟子/福田派 | 「測量集成」(1854),「西算速知」(1856),「筆算通書」(1871),「筆算通書入門」(1873)などを著した | 大阪 | ハナイ・ケンキチ | ||
68 | 曽根栄道(又右衛門) | 1867頃 | 洋算家/福田理軒の弟子 | 福田理軒の口述を筆記して「西算速知」(1857)を著した | 大阪 | ソネ・エイドウ | ||
69 | 佐藤茂春 | 1698頃 | 高槻藩士/沢口一之の弟子 | 名著「算法天元指南」(1698)を著した。これは,1795年藤田貞資によって再刊された | 摂津・高槻 | サトウ・シゲハル | ||
70 | 北村茂則(市兵衛) | 1680 | 1736 | 沢ロー之の弟子 | 「八乗冪式」(1733)を著した | 近江 | キタムラ・シゲノリ | |
71 | 内田久命(半吾,岳湖) | 1868 | 彦根藩士/長谷川弘の弟子/関流 | 「算法求積通考」(1844),「方陣之法并零約術」,「算法初学集」(1861)などの著書がある | 彦根 (江戸) |
ウチダ・ヒサナガ/ウチダ・キュウメイ | ||
72 | 久田玄哲 | 1658頃 | 吉田光由の弟子 | 「算学啓蒙訓点」(1568)の稿を書き,土師道雲が出版した。また渾天儀を作ったとも言われている | 紀伊 | ヒサダ・ゲンテツ | ||
73 | 小川広慶(友右衛門) | 1741頃 | 小川流 | 小川流として,「奇偶方円数」,「明潜之法」,「弧矢弦の法」などを伝えている | 紀伊 | オガワ・コウケイ | ||
74 | 久喜村方博(順蔵) | 1782頃 | 藤田貞資の弟子 | 東京芝の愛宕山に三度算額を奉掲(1782,1784,1789)した.(いずれも非現存,「神壁算法」)その中に,「久喜村の閉形問題」がある | 和歌山 | クキムラ・ホウハク | ||
75 | 志野知郷(庄之助,採夫,権山) | 1832頃 | 紀伊藩士/和算家/測量家 | 「測量町見術大意」(1832),「豁機算法」(1837)などを著した。豁機はカルキラスに由来し,この書にはサイクロイドなどの軌跡の問題がある | 伊勢 (紀伊) |
シノ・トモサト | ||
76 | 田原嘉明(仁右衛門) | 1652頃 | 「新刊算法起」(1652)を著した.奥付の署名の下に押された正方形と内接円の判に「七十九ま」とあるのは,当時の円積率0.79の根拠を示したものである | 堺 | タハラ・ヨシアキ | |||
77 | 田中芳州 | 1773頃 | 芳州が口授したものをもとに,岩本悟友が「勾股泝源」(1779)を著した | 堺 | タナカ・ホウシュウ | |||
78 | 岩本梧友 | 1738 | 1801 | 田中芳洲の弟子 | 田中芳州の口述をもとに,整数術についての書「勾股泝原」(1779)を著した | 堺 | イワモト・ゴユウ | |
79 | 奥田有益 | 1669頃 | 医者/和算家/暦家 | 「算数記」(1669)を著し,これに宣明暦を付記して「新編算数記」(1681)を著した | 奈良 | オクダ・ユウエキ | ||
80 | 池田昌意(彦左衛門)/古郡之政 | 1674頃 | 和算家/暦学家/隅田江雲の弟子 | 「数学乗除往来」(1674)を著した。巻末に長崎や江戸の緯度をあげており,また遺題49問を残している | 奈良 | イケダ・マサオキ/フルゴオリ・コレマサ | ||
81 | 山田正重(彦右衛門,彦左衛門) | 1659頃 | 「改算記」(1659)を著し,「塵劫記」,「参両録」の遺題を解き,自らも11の問題を遺した。この書中,放物線になる弾道計算表がある | 大和郡山 | ヤマダ・マサシゲ | |||
82 | 穂積与信(伊助,浄白) | 1655? | 1731 | 島田尚政の弟子/中西正好の弟子/中西流2世 | 「下学算法」(1715)を著した.これは「天元樵談集」の答術書で,自らも11の遺題をあげている.また中西流を播州に広めた | 大和郡山 (姫路) |
ホズミ・トモノブ | |
83 | 緑川重明(寿三) | 1720頃 | 「微開算法」(または「開微算法」)(1720)を著した。これは,穂積与信の「下学算法」の答術書である | 大和郡山 | ミドリカワ・シゲアキ | |||
84 | 白石道賢 | 1812 | 1857 | 大和郡山藩士 | 「算法中心術」(1852)を著した | 大和郡山 | シライシ・ミチカタ/シライシ・ドウケン | |
85 | 清野信興(伝左衛門,助左衛門) | 1725 | 1798 | 姫路藩士/八木房信の弟子/中西流6伝 | 姫路の稲荷大明神,正明寺などに算額を奉掲(1757)した。また,「算法大意秘訣」(1777),「改正算学一覧記」(1777)や測量書「打量秘訣」(1779)などを著した | 前橋 (姫路) |
キヨノ・ノブオキ/キヨノ・シンコウ | |
86 | 田中政信(常次郎,信義) | 1809 | 1880 | 播磨藩士/植田素顕の弟子/中西流 | 「算法約術提要」,「算法招差提要」,「算法天元提要」,「算法重宝記」,「奉懸算法」,「載積算法」などの稿本が残されている | 姫路 | タナカ・マサノブ | |
87 | 大塚義高 (太七郎,多七郎,正信) |
1833 | 1909 | 田中政信の弟子/中西流 | 「算法算術」,「算法九章」,「算法天元開方術」,「新法乗除算早術」などを著した | 姫路 | オオツカ・ヨシタカ | |
88 | 有松正信(哲治,松林堂) | 1796頃 | 鈴木直好の弟子/八木房信の弟子/中西流五世 | 「算学枢要」(1796),「天元術和算写」(1815)などを著した | 播磨 (龍野) |
アリマツ・マサノプ | ||
89 | 松本志英(金吾) | 1854 | 竜野藩士/有松正信の弟子/中西流 | 「奉納算法解術」(1794)を著した | 播磨 (龍野) |
マツモト・タダヒデ | ||
90 | 和田寧(豊之進,子永,算学) | 1787 | 1840 | 播州三日月藩士/日下誠の弟子/関流六伝 | 印刷刊行された著作はないが,「円理豁術」(1817),「異円算法」(1825)などを書き残した。円理表(定積分表)を作り,当時の数学者たちに寄与し,微分法についても,フェルマと同じ方法で極値を求めた | 播磨 (江戸) |
ワダ・ヤスシ | |
91 | 佐藤善一郎(貞次,一竹) | 1841 | 1902 | 測量家/和算家 | 備前から播磨の土地測量に従事した。備前や播磨に多くの弟子をもち弟子達に算額を掲げさせた。その中に三角関数を使用して解く問題や,15歳の娘小夜女の問題もある | 岡山県 | サトウ・ゼンイチロウ | |
92 | 村田光㝫 (佐十郎,朽木軒,如拙) |
1747? | 1831 | 津藩士/和算家/本多利明の弟子/測量家/溝口林卿の弟子 | 「精要算法解」,「括要算法解」および三角関数表「割円八線表」を著した。また,溝口流の規矩術(測量術)を後世に伝え,弟子の吉田重矩はその内容を「規矩術図解」として著した | 伊賀 (津) |
ムラタ・コウリュウ/ムラタ・ミツタカ | |
93 | 豊島正美(慎,雲淵)/永田平助 | 1752頃 | 「算通」(または「算法探源」)を著した.会田安明はこれを高く評価し,「豊島算経評林」を書いている | 伊勢 (江戸) |
トヨシマ・セイビ/テシマ・ヘイスケ | |||
94 | 堀池敬久(子慎,衡山,周空) | 1776 | 1845 | 亀山藩士/和算家/神谷定令の弟子/関流 | 「精要算法諸角中径之求一術」(1813),「自約術」,「要妙算法」(1828),「断連術」(1839)などを著した.また,鈴鹿市や岡山県下の神社に奉額した.(非現存) | 伊勢・亀山 | ホリイケ・タカヒサ | |
95 | 恵川景之(弥五郎,星舎) | 1842頃 | 紀州藩士/村田恒光の弟子/内田五観の弟子/関流 | 「弧三角捷法解」(1842),「弧角小成」(1854),「新製乗除対数表」(1857)を著した | 伊勢・松坂 | エガワ・カゲユキ | ||
96 | 堀池久道(鯉平,子珍,北川) | 1804 | 1878 | 亀山藩士/堀池敬久の子/関流 | 「要妙算法」(1828),「掲楣算法」(1837)などを著した。また,鈴鹿市の椿大神社に算顧を奉掲(1836)した。(復元) | 伊勢・亀山 | ホリイケ・ヒサミチ | |
97 | 花房吉廸(谷半介,半助) | 1848頃 | 津藩士/村田恒光の弟子/関流 | 「新巧算法」(1848),「算法類題起源」を著した | 伊勢・津 | ハナブサ・ヨシミチ | ||
98 | 村田恒光(佐十郎,如訥,洞江) | 1870 | 津藩士/測量家/和算家/村田光窿の孫/長谷川寛の弟子/関流 | 「算法側円詳解」(1834),「六分円器量地手引草」(1853),「算法地方指南」(1836),「算法楕円解」(1842),「新巧算法」(1849)などを著した | 伊勢・津 (江戸) |
ムラタ・ツネミツ/ムラタ・コウコウ | ||
99 | 豊田勝義(伊三郎,有年) | 1817 | 1877 | 津藩士/和算家/村田恒光の弟子 | 村田恒光閲の「算法楕円解」(1842)を撰したほか,「小学新選算法」(1875)を著している | 伊勢・津 | トヨダ・カツヨシ | |
100 | 柳楢悦(芳之助,惣五郎,有悦) | 1832 | 1891 | 津藩士/東京数学会社社長/和算家/洋算家/村田恒光の弟子 | 師村田恒光との共著「新巧算法」(1850),翻訳書「航海或問起源」(1861)や,三角法を自由に使った「量地括要」(1871)のほか,円錐曲線の問題集「算題類選」(1879)などを著した | 伊勢・津 | ヤナギ・ナラヨシ/ヤナギ・ナラノブ | |
101 | 遠藤利貞(安司,春江,春峰) | 1843 | 1915 | 桑名藩士/東京数学会社会員/和算家/細井寧雄の弟子/関流 | 「鉤股適等之解」(1869),「算顆術授業書」(1875),「新撰幾何学」(1887),「立方陣」(1906)などを著した。和算史を集大成した「大日本数学史」(1896)を世に出した。 | 桑名 (江戸) |
エンドウ・トシサダ |