「初等数学」第28号再刊第1号 1996年2月とび梅号


初等数学の再刊に寄せて  宮地俊彦

早川学而先生が「初等数学」という個人研究誌を始められたのは昭和59年(1984),先生74歳のときである. 先生は福岡県立福岡高校で長年にわたって教鞭を執られ,当時から全国に名を知られた高名の数学教育の 研究者であった.また九州数学教育会の運営にも深く関られ,私たち後輩の指導に当たってこられた. その後先生は久留米付設高校に10年お勤めになり予備校水城学園でご勤務のかたわらこの研究誌を刊行なさったのである.日本は世界で一番豊かな国であると言われているが初等数学の研究においては最貧国 にあり,諸外国が長い歴史をもつ初等数学の研究誌が存在するにもかかわらず,我が国においては残念 ながら早川先生の「初等数学」において嚆矢とする.しかもそれは,金銭的にも編集発送作業等においても, すべて先生の一方的なご尽力及び献身によるものであった.(中略)

そのような意味においてこの「初等数学」は早川先生の生き方そのものであり,先生のご人徳そのものとも 言えるものである.その人柄に引き付けられるように,最初11頁で出発したものが,着実に読者,投稿者 を増やし頁数が100を越えることも多く,背表紙に誌名を入れられるまでに成長したのである.また先生の お付き合いの広さから九州大学,名古屋大学,東京学芸大学,茨城大学の名誉教授であられる,中沢貞治, 栗田稔,清宮俊雄,北村泰一の各先生の論文が各号を飾るようにもなった.

ところが,先生の健康上その他の理由により平成5年(1993)5月発行の27号をもって突然に終刊を迎える こととなった.なんとか再発行をとその誌友は強く願望していたのであるが,先生のご健康の理由となれば いかんともしようがなかった.その後,時はいたずらに流れ昨夏明治学園の松田先生より「初等数学」再刊 の話が持ち上がり,松田,繁木,宮地が太宰府の先生のお宅を訪ね誌名をそのまま利用させていただくお許し をいただいた.その後は松田先生が大部分一人で編集を引き受けられ,また多くの誌友の励ましの言葉, 金銭面での援助,論文の提出の協力等のお陰で,やっと再刊1号をお手元に届けることができるようになった.更なる誌友のご協力により再刊2号が発行できることを念願している.

(1996年1月7日)