東京都(Tokyo Pref.)


会田安明算子塚

DATA
台東区浅草 浅草寺
会田安明
通称算左衛門,字は字貫,自在亭と号す.廷享4年(1747)2月10日山形七日町生れ.
明和6年(1769)江戸に出て,本多利明らに学ぶ.
天明5年(1785)藤田貞資の精要算法の誤を訂すことに端を発した,貞資との論争は後20年に及ぶ.
その後,関流に対抗して最上流を興し,独自の記号を編み出し,これまでの点竄術に対し天生法と名付けた.
伝書600卷を著し,文化14年(1817)歿す.70歳. 数学院無量自在居士
墓は東京本所即現寺にあったが,関東大震災で崩壊し,会田氏遺族はこの機会に芝公園金地院に移し,現在同地に会田家之墓としてある.
この算子塚は安明の3回忌に弟子らによって建立されたものである.亀田鵬斎撰文

参考文献 著者 発行  
会田算左衛門安明 平山諦,松岡元久編 会田安明150年祭記念出版 1982
会田安明翁事跡並山形県の和算家 大木善太郎編 自費出版 1933